脳内会議

既卒の元ニート(現在、契約社員)です。既卒(元ニート)の生き方、考え方、平凡な日常の事を書いてます。

phaさんの記事を読んで3年前の自分と今の自分の違いに気付いた

なんかやけに共感できる記事だなぁと思って読んでたら、

書いてるのがニート界のカリスマであるphaさんだったw

 

www.gentosha.jp

 

でも書いてるのがブログじゃなくて、「幻冬舎plus」というサイト。

phaさん連載してるみたい。(素朴な疑問なんだけどこういうのって

やっぱりお金もらって書いてるのかな?)

 

1.基本的に共感できるのになぜか残るモヤっと感

で、肝心の記事なんだけど、書いてることを読んでて最初は凄く共感して「分かる分かる」と思いながら読んでたのに、途中から少し違和感を感じてきた。

例えばこれ

コミュニケーションでも文字によるもの(チャットやメールなど)ならまだ比較的負担が少ないのだけど、音声による会話は消耗が激しい。

確かに音声会話は消耗が激しいというのは共感出来た。しかし、チャットだと負担が少ないというのは少し違う気がした。僕にとってはチャットも音声も負担は対して変わらなくてどちらかと言うと「誰と話すか?」で負担が大きく変わる。

むしろ相手と仲が良いほどチャットはまどろっこしいので苦手。

 

これは素直に共感できた。

一人で外をふらふら散歩しながらぼんやりしているときが自分の中で一番楽しい時間だ。でもそんな散歩の最中に知り合いを見かけると反射的に隠れてしまう。前もって会話エネルギーを用意していないときに他人と会話すると特に消耗が激しいからだ。

 

これは共感できる部分と共感できない部分がある

会話という行為自体が心理的負担で、発声するたびエネルギーを消耗する人間がいることを考慮せずに、突然話しかけてくる人間がこの世界には多すぎると思う。

会話という行為自体が心理的負担になるかどうかは、やっぱり「相手による」

基本的には苦手なので、共感できなくは無いが少しニュアンスが違う気がした。

 

これは素直に共感出来た。でも少し寂しさも感じる。

制服や挨拶や決まり文句、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」や「こちら温めますか」などといったマニュアルに定められた定型的行動は、生の人間と人間がむきだしのままで直接コミュニケーションをするという恐怖から僕らを救ってくれるのだ。だから僕はチェーン店が好きだ。

 

2.モヤッとしたのは過去の自分が共感していたから

上記に書いたような共感ポイントがあったのに、なぜモヤッとしたのか

自分なりに分析してみたんだけど、どうやらphaさんの考え方に共感していたのは、

過去の自分の価値観っぽかった。つまり3年前ニートだった頃の自分であれば、

おそらくphaさんの考え方にほぼ100%共感していたと思う。

 

しかし、3年間の契約社員生活でどうやら自分の価値観に変化が出ていたらしい。

契約社員のリーダーになって人と話さざるを得ない機会が増えて、会話への心理的負担も減ったし、楽しいと思える会話も出てきた。会話が無いと寂しいと思うこともある。

知らない人と話すのはやっぱり苦手なんだけど、人とコミュニケーションを取るということに関して少し慣れてきたのかもしれない。

 

3.過去の自分と今の自分を比べて思うこと

数か月前から職場の先輩との関係が非常に悪くなっていて、最近かなり本気で仕事を辞めようと思っている。しかし、phaさんの記事を読んで自分が3年前と変わったんだということを実感すると、会社を辞めたら3年前の自分に戻ってしまうのではないかという

怖さが出てきた。仕事は精神的にも限界で毎日辞めたいとしか考えられないぐらいの状態だけど、元に戻ってしまう怖さも考えると今後どう動くべきか悩んでしまう。

 

ただ、phaさんの記事を読んでわずかでも成長している自分を発見できたのは、素直に嬉しかった。